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15年

あの震災から15年。



今日は第3日曜日でお店も定休だったので、町内の慰霊祭へ行ってきました。



家は全壊し、足が悪く1階で寝ていた祖母が犠牲になりました。



15年前の震災のあった朝、旅行中で日本にいなかった私。



いつも私が旅行に行くというと祖母は心配して、どんなに朝が早かろうが起きてきて見送ろうとしていました。



なのでまた朝早くから起こしてしまうし、まして近場と言えど海外だと知ると心配するので事前には知らせていませんでした。



旅行に出る朝に何処へ行くとは書かず『旅行に行ってきます。17日の夕方に戻ります。お土産買ってくるね。』と祖母に書き置きを残し顔を会わせずに行ってしまいました。



17日は当然家に戻る手段が無かったので、一緒に行っていた京都・宇治の友達のお家に泊めて頂きました。



家が壊れていようと電話をかけるとコールは鳴るのです。でも結局、家族の安否が分からないまま不安な一夜を過ごしました。



翌日、友達と一緒に大阪にある会社にとりあえず出勤し、同僚の方に同行して頂き神戸へ。



阪急電鉄で西宮北口まで行き、そこからは歩いて神戸・東灘を目指しました。



2号線沿いを歩いていたらガス漏れの避難勧告が出ていて、芦屋の辺りから先は2号線よりも山側へと言われ山幹沿いを歩くことに。



家を目指し再び南へ向かうのに何処で曲がってもいいところ同僚に『次の信号の所を南へ行きましょう』と言ったら、同じく避難勧告で移動してきた家族と偶然にもバッタリその信号の所で会うことが出来ました。



最初に姉の姿を見つけ両親・兄の姿はあるけれど祖母の姿だけなく、家が全壊した事と祖母が亡くなった事を知りました。



姉が1階の祖母の様子を見に行こうとしたら階段が3段しかなく、祖母の『助けて・・・』と言う声を頼りにどうにか瓦礫をかき分け祖母の手を握れたそうですが段々力が無くなっていったと・・・。



自衛隊の方に救助を頼み中へ入ってもらいましたが死亡が確認され、『今は生存者の救助が先なので後で必ず来ますから』と。



そして3日後の20日、名古屋の自衛隊の方々に遺体を収容して頂きました。



私は祖母の顔も見ずに旅行に行ってしまった事、震災の当日にいなくて何の役にも立てなかった事が悔やまれて祖母の亡骸に対面し泣いていました。



その様子を某新聞社の方が写真を撮っていたそうで、ご近所の方が怒っていて初めて撮られていることに気付きました。



その時の写真が『報道写真全記録』として震災の写真集に載っていて、時を経て昨年の5月その写真を見た関西学生報道連名チームに属する神戸大学の学生さん達がうちへ取材に。



写真を撮ったカメラマンを訪ねることから始まり町名だけで何処の誰とも分からない私達家族を、情報は一緒に写真に写っている人達だけで人づてに聞いて見つけ出してくれたようです。



『遺族の方の悲しむ様子が生々しく、衝撃を受けました。どのようないきさつでこの写真を撮ることができたのか。また、写っている方々は、亡くなった方の家族なのか、どのような関係のかたなのか。どのようなことが起きて、亡くなったのかを調べようと、私たちは思いました。』とのこと。



15年経った今でもその写真を見ると未だ胸の奥がキューッとなりますが、取材に来た学生さん達が目にとめてくれたように写真を目にして震災のことを少しでも知ってもらえることもあるのなら・・・と今は思えます。



祖母は93歳、後1ヶ月足らずで94歳でした。亡くなり方はともかく大往生です。



もし犬好きだった祖母が生きていたら、私が今ここでお店を始めて毎日のように色んなワンちゃん達に会えることをきっと喜んでくれていたことでしょう。



そんな祖母に心配かけないように、私はこれからもここでご来店のワンちゃん達に癒されて元気に生きて行こう・・・と改めて思った15年目でした。


by wan-room | 2010-01-17 23:58 | 日記・その他 | Comments(2)